印鑑のヒミツは?!
今、私の頭の中にあるのは、民営化した日本郵政グループの経営を一日も早く軌道に乗せることだけです。
また、過去を振り返るより、常に先のことを考えていたいというのが私の信条です。
おさむですが、旧知のジャーナリストであるN氏より、「郵政民営化を率いているのがどんな人物なのか、どのような経歴があり、どのような考え方の持ち主なのかを国民に伝えるのもトップとしての仕事である」と強く説得され、民営化についてご理解いただく一助になるのであればと思い、質問にお答えさせていただくこととしました。
財界のある方から、日本郵政社長就任の打診を受けたのは2005年9月の終わり頃のことでした。
MS銀行の頭取を正式に退いてから、まだほんの3カ月ほどしか経っていないときです。
頭取退任を発表したのは2005年4月のことでした。
そのときの記者会見では、記者のみなさんに「今日を最後といたしまして、みなさんの前からは消えるということになり関心事でした。
Nさんの就任が発表になったときには、「やはりNさんクラスの経営者でなければ、このプロジェクトはやり遂げられないだろう」と納得しましたが、MS銀行を辞めてから間もない時期、事前に情報が一切流れない電撃発表だったので、非常に驚いたのも事実です。
どのような経緯で社長就任に至ったのか、この際、Nさんご自身から説明してもらえますか。
そのとおりです。
退任発表後、表舞台から姿を消したあとは、「さて、これから何をやろうか」などと考える日々が続いていました。
秋からは、体の状態にちょっと気になるところもあり、大阪の病院に検査入院し、その結果次第ではしばらく治療に専念する予定になっていました。
打診を受けたのはそんなときでした。
そのときははっきりとした回答をしないまま、先方からは「まあ、よく考えてくれ」というお話で終わりました。
検査の結果が出てその後の治療方針がはっきりするまでには3ます」と申し上げましたが、ほんとうにそのつもりで、先のことなど何も考えていませんでした。
8年間の緊張が解け、あるのは「この細い体がよくもってくれた」という感慨だけでした。
正式な退任は6月末の株主総会後でした。
株主総会は、議長を務めなければならなかったので出席しましたが、退任の発表後は、公の場に出なかったのはもちろん、銀行の会議に出ることもありませんでした。
私自身、実際、どんな検査結果が出るのか分かりませんでしたし、正直、迷いがありました。
郵政は大変に巨大な組織です。
しかも、元来、官の世界で仕事をしてきた人たちの組織であって、私が長年勤めてきた民間銀行とは随分違うはずです。
そんなところへ落下傘社長としてポッリと一人で降りていっても、果たして仕事ができるのか。
そんなことが頭に浮かびました。
長い間、大蔵省(現在、財務省)や通産省(現在、経産省)などの官僚の方々と、仕事上のお付き合いはあったけれども、これらは言ってみれば民間企業に対する監督官庁の方々です。
郵政の方々とはほとんど接点がありませんでした。
そんなわけで「はて、どうしたものか」と、非常に迷いがあったのです。
家族だけにはと思って話をしてみると、大反対でした。
家内などは「郵政民営化をめぐる週間から4週間ほどはかかるだろうということだったので、何事も検査の結果次第という感じだったのです。
政治家も賛否両論という状態だし、官僚の方々だってどうしたらいいのか分からないような状態の中に入っていって、大丈夫なはずがない」と、どこで勉強したのかと思うような、普段は言わないことを言う始末です。
参議院で民営化法案が否決されて、衆議院が解散になり、9月に総選挙という一大イベントが繰り広げられたので、日本中の多くの人は、家内と同じような感想を持ったことでしょう。
「何でそんなややこしいところへ入っていくのですか。
銀行の仕事が終わったのだから、のんびり暮らせばいいじゃないですか、何も仕事をしなくたって」という家内の意見も、もっともと言えばもっともです。
私自身も、郵政解散のときには、「大変なことだな」などと思っていました。
もっとも、選挙戦に入ったら、郵政民営化に関する自民党の主張と民主党の主張を見比べて、自民党の圧勝だなということはすぐ分かりました。
また、K総理の選挙戦を見ながら、多くの人の心をつかむには、やはり争点を簡単明瞭にし、分かりやすい言葉で訴えることが重要なのだと、あらためて思ったりもしていました。
まさか、自分が民営化会社の社長になるとは夢にも思わず、まったくの他人事だったわけです。
まだ大阪の病院にいる間、4月末だったと思います。
その財界の方から、「Nさん、ちょっと1日だけ東京に来てくれないか」という電話がありました。
病院の先生に聞くと、で、とにかく、東京に向かいました。
お会いすると、その方は「もう日がない。
ほかに自薦他薦もあるのだけれども、いずれもあまり適任とは思えない、君しかいない。
時間もないし、決断してくれ」と、もう背水の陣のような感じです。
それで一両日考え、「ここまでおっしゃっていただいているのだったら、やむを得ないか」ということで「お引き受けします」と、内々のお返事を申し上げました。
方から言われました。
蜜自分としても、ほんとうに思いもよらないことでした。
ただ、民間銀行で、8年間も頭取を務めさせていただき、自分の働いてきた銀行をとにかくトップバンクに引き上げるのだと、一生懸命やってきた。
最後は、不良債権問題などで、なかなか思うようにはいきませんでしたが、さまざまな人たちに支えられ、力を貸していただいたからこそ、何とか、がんばってこられました。
ですから、ちょっとカッコよすぎるかもしれませんが、これまで支えてくださった方々への恩返しをしたいという気持ちがあった。
自分の人生があとどれほど残っているかは分からないけれど、最後は、お国のために尽くしたいという思いもあり、お引き受けすることにしたわけです。
家内は最後まで反対していましたが、私としては、「お前の言うことを聞くよ」と相談したつもりではありませんでした。
事の性質上、誰かに相談して決めることではない。
自分一人の決断でした。
銀行業界は、郵政民営化にずっと批判的でした。
その銀行業界出身のNさんが日本郵政のトップに就任すれば、それなりの乳蝶が生ずることは十分に予想されていたことです。
案の定、そういう批判も出ましたが。
覚悟のうえのことでした。
そもそも、日本の郵政事業は、戦前は逓信省、戦後は郵政省が担っていました。
200年4月に郵政事業庁の業務を引き継いで発足したのが、日本郵政公社です。
公社の初代総裁に就任されたのが、商船Mの社長・会長として諌腕をふるったIさんでした。
この公社の業務が郵便局、郵便事業、郵貯、簡保の四つの事業会社に分割されるのが、いわゆる「郵政民営化」です。
私が社長就任を打診された日本郵政株式会社は、2006年1月に、郵政民営化の企画準備会社として業務を開始する予定になっていました。
1年8カ月ほどの準備期間を経て、2007年3月より、4事業会社の持ち株会社として、民営化された郵政事業の舵取りをすることになっていたのです。
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